未来と実績

家族経営

創業明治44年。縁起と日当たりの良い観音山の地で、初代児玉吉兵衛が開墾したところからはじまります。北米や満州への輸出、また株式会社化や農地解放による有限会社化。旧商標の「ヤマチョー」ブランドで主にみかんを栽培してきました。

平均年齢30歳、若い零細企業

観音山フルーツガーデンは現在まで6代続く農業生産法人です。耕作放棄地の解消に伴う園員の増加、加工品製造に伴う工房人員の増加、出荷量増加によるパッキング人員の増加、お客様からのお問い合わせに対応するための事務所人員の増加などにより、現在従業員は約80名。大阪や関東から来ている社員もおり、平均年齢30歳の若い会社です。

観音山フルーツガーデンのスタッフ

和歌山フルーツの拠点として

以前は園地、工房、パッキング、事務所間の距離が離れており、またそれぞれの場所が手狭になったため、2017年に全ての部署が一体化した新社屋を建設。そこを和歌山フルーツの拠点となるような場所にしていきたいと考えています。健康と癒しを求める心の時代である流れ、交通の便とフルーツ王国である地の利を活かし、全従業員が輝ける場所にしていきます。

一次産業

高度経済成長期は、他の産業と同様に果樹産業も売り手市場であったため、フルーツを造れば売れる(プロダクトアウト)時代でした。市場出荷やスーパー出荷を行えば不自由のない暮らしを送ることができ、いかに収穫量を上げるか、早く出荷するかなど産地だけでの問題で解決ができていました。

1次×2次×3次=6次産業

現在では市場が飽和し、売り手市場から買い手市場になることで、より深く消費者ニーズなどを捉える必要(マーケットイン)が出てきました。それに加え商品の物語性を重視する風潮が強まり、1次産業×2次産業×3次産業から生まれた商品へのニーズが高まっていることを感じ、地域の資源であるフルーツを使った商品づくりに従業員一同で取り組んでいます。

価値創造提供業

新宿高野様や、モンベル様など様々な会社様とのコラボレーション、台湾や香港などへの海外展開、農業研修やインターンシップ制度、観光農園、食育事業、農家民宿など、社会が必要としているものは何かというニーズを探り続けます。また、国内外から多くのお客様に来ていただき、和歌山のフルーツを体験していただける場所にしていきます。今の世の中には無い新しい価値を創造・提供し、より良い国造り、世界平和に貢献していきます。

PAGE TOP